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人工物が主役な時代 [風景]

地球なくしては、人は生きていけないのに人工的なものは、あるところまでは、必要だろうけれど、行き過ぎてしまえば、人工物が地球と共存できなくなる。そして壊れた自然の中でも生きていけるように、また人工的なものが増えていく。

悪化した環境でも生きていける発明がどんどん出てくる、地表がだめになれば、地下に行って、人工太陽、人工水、野菜、なんでも作っていく。

砂漠っぽいような月も実は内部に人工都市があるのかも。緑豊かだった頃を映像で見ているかもしれない。

子供の頃、工作をしていて、ボンドを付け過ぎてしまい、汚くなり、この時に慌てて何かをしてしまうと、もっとひどいことになった、こんな体験が沢山ある。乾くまで辛抱強く待つことである。待って、イメージを変えて、また続ける。失敗したなりの結果の声を聴くような感じ。慌てて何かをすることは、ボンドやくっつけた木の声を無視することになる。

自然も、破壊したからと言って、人工的に慌てて何かをすることが、危険に思う。まずは、そこから離れ時間の経過を待つこと、そしてそこはもう人が何かをしてはいけない場所だと気づくことではないだろうか。

実態経済ではなく金融、これも同根では。
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「意味」は人で変化する [風景]

今年拾った「なるほど」と思う話

夏休みラジオ子供質問番組
女の子 小学低学年  「どうして、タコはクネクネしてるんですか?」
先生 クネクネだと都合がいいことは何だと思う?
しばらくして
女の子「食べやすい・・」
先生「・・・・あ、あ、」

ある会で記念写真を撮るとき
男性A 「写真嫌なんですよ、いつも写真写りが悪くて」
男性B 「大丈夫ですよ、みんな同じですよ、そのまま写るだけですから」
A    「・・・」

別の会で
男性A(マスクをして咳き込んでいる)
男性B どうしたんですか、風邪ですか?
A いやあ、人アレルギーなんで、人が沢山いると咳き込むんです、
  でもまた人が必要と言うところが、悩むところです。

*前回の記事に写真、月が二つあるように気がつかれた方がおられました、10月10日ですが、じっと見ているとお月様が二つになりました、信じられずに何か幻覚だと思いましたが、その月が移動したので撮ったものです。光があるものは周囲がにじみますが、そのように写っています。月が増えた霊的意味(写った幻覚とでも言えるのか)は、まだ調べ中です。
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砂漠は好き? [風景]

朝6時前くらいは、昨日はそれなりに明るくなっていたが、今日はなんだか薄暗いままだった。一瞬とても不安な気分になる、ずっと暗いままだったら・・・。太陽はあって当たり前だと思い込んでいるけれど、もし消えたとしたら。カビやウイルスがはびこり、犯罪も。電気的な明るさと殺菌と、そして心が受け取る明るさ、希望、そんなすごい力を与えてくれていることにあらためて驚いてしまった朝の数分間でした。


ブラインド、遮光カーテン、日傘、日焼け止め、身近な物って、太陽を避けるための物が多い気がする。太陽の代わりを人工的にしようとしたら、すごいコストになる(どころではない!)清浄な湧水と四季折々の太陽との出会いが日本の風土の元の気。



日本でも最先端と言われる光景がドバイに似てくる。それは砂漠地帯のイメージである。そよ風が家の窓から窓へ吹き通っていく、水と風と土と光のほど良さのある風景がもし無くなったとしたら。砂漠を見ていると太陽が悪に見えてくる。真夏に外を無防備で歩くのは良くないが、否定的な気分で太陽を感じるのは、身体に悪いのではないだろうか。
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先日同窓会でニューオータニに行った折、窓から解体中の赤坂プリンスホテルが見えた。コンクリの上に洋館が見える。昔食事をしたことがあり、何とも不思議な風景でした。

新たな神話(人間と宇宙の新たな関係) [風景]

7hiniji.JPG7月8日の雷はすごかった、出かける予定だったが、静かになるまで、外に出れず・・。まるで天地創造の時ってこんな感じかもみたいでした。その後の空の色の青と雲の白が、ミケランジェロの天井画の色にそっくりで。日本的な空とは違った感じがあり、その後虹が空に浮かんだ。

何か起きる予兆でしょうか。きっと起きる、そんな気分になった日です。参院選挙が近づいてきますが、本当に日本、世界はどんな答えに近づいているのか。自分なりに確かだと思えることは、クニより世界企業の論理が上に来ること。益々自分の心の免疫力を高めることが大事だと思えてなりません、具体的には、対人関係での失敗をおそれず、自分と気の合う人を探していくこと。誰とでも仲良くなること、ならなければいけないと言う神話を手放すこと。(仕事上はまた別な視点が必要ですが)

自然な人 [風景]

コスモス.JPGきれいだなーと思う人って、どこか自然と親しい気がする。さりげなく自分の側にある「小さな自然」に足を止め、(止の漢字、足の下)空から海を連想できたり、雑草から行ったことのある山里を思い出したり。自然を眺めるだけではなく、海で泳いだり潜ったり、山に登る人は、もっと立体的でリアルな自然との触れ合いまで何時でも思い出せるような。

哲人がぼうツと道端で長時間座り込んでいるような絵があるけれど、大自然と繋がっているのが分かる。

窮地の友 [風景]

064toruko.JPG窮地に陥ったら?どんな人が側にいてくれたらいい?

1) まずは人の意見や思いをきちんと受け入れてくれる人
2) 受け入れた上で自分の考えを伝える人
3) パニックにならない人
4) 愚痴を言わない人
5) できることから、動ける人
6) 質問は最小限な人
7) 人や自分を責めない人
8) 大声を出さない人(男性の声は「普通」でも女性にとってはストレスになる)

結局心が本音から明るい人。以上の逆の人が、窮地の時には困る人、今は、ある意味で普通の生活も窮地的な要素が高まっている。
数年前トルコに行きました、写真はエフェソスのアルテミス神殿で出会ったネコです、ずっとこちらを見ていてカメラを向けてもそのままでした。アルテミスは「万物は流転する」のヘラクレイトスの出身地で、とても神秘に満ちた神殿です。

静けさ [風景]

あやめ.JPG埼玉に大型古墳が多くあることを知らない人が多い(自分もそうでしたが)。行田市にある古墳郡に前玉(さきたま)神社と言うのがあり、これが埼玉の名前の元だと言われている。稲荷塚古墳などがある場所に歌碑がある。歌人 濱梨花枝氏の歌であり 「東方より 光は射すと 玉の柩 現れて輝る 一ふりの剣」とある。古墳から鉄剣が出土したことに関係した歌なのだろうか、一読して、これはとても聖書的である。


このあたりは、何となく空気が違って見える、古代的と言うのか・・・。前玉神社は、小さな神社だが、何か、まだ霊的イメージがある。神社は、御神体が祭ってある建物に近づくと、周囲の音が静かになる。木が鬱蒼としていて、それで外界の音を遮断できているのかとも思えるが、やはり、音が消える。夏、蝉がうるさくてもその周囲だけ静かになる。厳かな気分のせいで、そう感じるのかも知れないが、やはり人知を超えたものを感じる。元々神社は、生死を預かっている場所なので、(生死を特化している場所)、通常とは違う感覚が自分の中で上位にくることが、良く分かります。近辺には、古代蓮の里と言う場所もあります。
写真は、前玉神社近くで咲いていたあやめ畑(多分)。

スカイツリー [風景]

昨日、丸ビルの35階からスカイツリーを見ることができました、とても高次なイメージの照明で、横に動く照明の早さも、心拍を落ち着けてくれます。新潟の弥彦山(弥彦神社)の高さと同じ634メートルで、都市のあらたな山に見えてきます。人工物だけれど自然物のような感じ。ヤマビコのように、上に登れば、思いがどこかに届く気がします。

自分の思いは、場所によって増幅されたりします。こんな場所は、最初から明るい気分で行くのが一番です。あかるい、短縮するとアイ、くらいは、くい(悔い)。このあたりは、東京大空襲があった場所でしょうか。