SSブログ

個が大事 [関心]

動植物は個としてではなく種として生きていると言われている。
ペットはそこが違っていて人口的な環境で、
名前をつけられ個として生きている。

人間は、個として、時には国民(戦争)として生きている。
そこに種としての存続が入ってきている。

先進国では、一人一人が自分を成長させるための
環境が一応整っているはず。

しかし環境は整っていても、自分が何をしたいかを見失っている人もいる。
天変地異、ウイルス、食料危機、人間も種として存続へのメッセージが
増えてきている。

まだまだ豊かと言える環境を自分の成長のために使いたいのか
多少なりとも受動的で過去の単なる繰り返しで、行くのか、
後者が増えれば、今後蔓延する不安で、種としての云々にまで
行くのか。

今後のキーワードは「安楽し」が増えるだろう。
どう生きたいのかが不確実だと
人は、「し 」に、関心が行きやすい。
自分の中に、「こう生きたい」と言う炎を本人以外では点火できないところが、「人」なのだろう。


コメント(0) 

内心褒められたい? [関心]

先日カフェに行ったら、
赤ちゃんをだっこした父親が
ずっと椅子に座らず、あやしていた。

もう一人の子供と奥さんは座っている。

ちょうど自分の場所からその父親がそのまま見える。

店の人に「落ち着かないから座るようにいってほしい」と伝えた、
多分できないとは分かっているけれど。

しばらくして店長が「きっと座ると赤ちゃんが泣くのかも知れません、
場所を変えられますか」
私は、父親が見えない席に移動した。
近くに居た人は誰も気にしないのだろうか。

きちんと世話をしているいい父親と誰にでも褒められそうなことを
しているとに思っているのかもしれない。
誰にでも褒められそうなことが、
そうは思わない人もいるけれど、
あえて言えない空気感がある。

サッカー場のゴミ拾い。
あれはそこで働いている人たちの仕事だ。



一見誰からも褒められそうなことは
ほぼ苦手。


コメント(0) 

境界線 [関心]

地方をドライブしていると、あるところ、四辻のあたりから、風景が変わることがある。
なんだか、道一つ隔てて空気が違う。高確率で、道祖神やお地蔵さんがいる。

もっと先に行ってお店を選びたいけれど、とても待てず、四辻の角にある蕎麦屋や食堂に入ることがある。
これが、大抵、扉を開けると異次元の雰囲気が漂っている。あ、やっぱり、失敗したかなと思いつつ着席をしてしまう。

骨董品が溢れている。なんとも形容しにくい店主の笑顔が、やたら気になってくる。向こうに座っている常連らしい人が、ふっと話題を止めたりする・
思わず、失礼かと思いつつ、旅人をおそう人・・・的なことを連想してしまう(申し訳ありません!)
落ち着かないまま、食べ終えて外に出るとほっとする。

勝手にホラーストーリが生まれてくる。

その昔、村八分にあった家系かも、もしくは逃げ延びてきた落ち武者を・・・などなど。

あらためて考えるとそれは境界線の怖さだろう。

ちょうどテレビで水木しげるの番組をやっていて、
境界線の周辺には弱者がいると、コメンテーターのお一人が言っていた。
弱者は境界線に繊細。

自分の事を考えると、やっていることが人からあまり理解されないという意味で、
気分はかなり長い間弱者だったと思う。

集団に混ざることが、苦手と言うか、時間の経過と共に、逃げ出さないと、
お互いにしんどくなる。集団の、目先的なことであろうが、なんとも言えない一致団結感がこわい。
(自分が勝手にそう思っているだけだが)
境界を行き来している感覚は、普通の椅子の側に、普通ではない置物がある感じだ。

多様性とは分断でもあって、そういう意味では、多様性がうたわれている今は、
境界線近隣にいた人たちに居場所ができつつあるとも言える。


下は六本木のくろさわ。板前さんが揚げるランチの天ぷら定食が美味しい。
先日家族のお供で増上寺周辺にいった。「天仁〇茶」のタピオカアイスティが美味しかった。
IMG_2421.jpg
IMG_2427.jpg

IMG_2433.JPG



コメント(0) 

細密意識 [関心]

何か一つのことに、興味を持ち、自分で研究していくことは、とても楽しい。
人からの評価は二の次の次なので、少し変わりものっぽくもなる。


コミュニケーション能力と言うのは、相手を気遣うとか、無難な通り一遍の段階を過ぎてきている。
相手の深いひらめきのある言葉から、自分の興味と関連のある要素を引き出すことが刺激的な対話になる。

ペットボトルの水、三分の1でも、最後の三分の1になると、減るのが早い気がする。
気がするのだけれど、その残った三分の1への、意識が細かくなり少し大事に飲むと、味と言うか感覚が変わる。(単に気のせいとは、思わない人限定のことだけれど)
地球も、何かが減るのが早くなっている感じだ。
その分、かえって時間の密度が濃くなり、得ることが増える。

増えると、小さな入り口の向こうに、より大きな初めて見る空間があった、みたいな感覚が頭のなかに広がる。そんな人の数がある程度を超えれば、違う周波数を生みだせる気がする。


中止になっていたお祭りが復活した、久しぶりに見ると、お神輿や何かが、
不思議な物に見える。

IMG_2328.jpg
IMG_2340.jpg

コメント(0) 

夢のようだった野菜販売 [関心]

数年前、野菜が高くなった時に、自分の畑から朝取りして、車で1時間ほどのところから土曜日AM9時頃から道端で販売していた男性かいた。たまたま通りかかり買ったところ、本当にみずみずしく美味しくて安かった。

何回か行くうちに、あまり続かないだろうと思うようになった。
理由は、買う車が増え、周囲に迷惑をかけるようになった、場所は道に面した空き地(友人のものらしい)。
時には9時に行っても売り切れている。

お客の中に、確実に来る日と時間を知りたいとオジサンに携帯を聞くようになった。オジサンは困った顔をしながらも教えてしまった。
かなり売れると、早く片づけたくなるのだろう、お客に大らかにおまけをするようになった。
5分前におまけなしで買った客がまだうろうろしていて文句を言われる。

何らかの飲食のお店(個人では大根を10本は買わないでしょうから)をやっている人が、大量に買うようになった。

そんなことが、増え、きっとオジサンは疲れるようになったのではと、
思っていたら、やはりある時から来なくなった。

美味しい野菜を安く、それだけで始めてくれたのに、客から様々な圧を受け、
なんだかこうなったしまった。これが歩きで来るご近所の方だけなら、また違っていたのだろう。

夢のような野菜販売でした。売るとなると、客に、均一、平等、トータル???円以上の人にだけおまけとか、
車の渋滞もあるから、道端のにわか店では、難しかったのでしょう、残念でした。

善意のことほど、案外ややこしくなる。
IMG_2170.JPG
IMG_2179.jpg

コメント(0) 

人類は繰り返しどこに行きたい? [関心]

10年ほど前になるけれど、トルコの田舎の小さな店で、買い物をした時に、ドルで支払おうとしたら、かなり激しく円にしてほしいと言われた。不思議な感じだった。

世界は金融で動いている(と思える)、その時ドルの価値が落ちているとは思わなかったけれど。
今回の件をきっかけに、人民元での決済が増えるとしたら、サウジもそんなことを言っている。大きなチェンジにはならないと専門家も言っているが、?。自国の経済と世界金融が密接なことが、徐々に現実に見えてくる。ロは、エネルギーとダーチャがある。金融の先の命の生き残りになってきたら、自国はどうだろう。畑の代わりにソーラーが広がっている風景に出会う。

ある方から、井戸があり少し畑のある家が理想になってくるとお聞きしたことがある。

IMG_0113.jpg
コメント(0) 

天才たちの季節 [関心]

天才、少なくても天才的な人が増えている気がする。実用新案ではなく
超特許的な人達。
そう言う人達の共通特徴は、何らかの周囲との「違い」を持って生まれている。
普通の環境では心が落ち着かないので、落ち着く世界をまずは頭の中で創らないといけない。
世界と言う枠組み感が同時代のそれと違っている。

その新枠組みが他の人にとっても意味がある時代であれば、絶望し無くて済む。

熊谷高幸の「天才を生んだ孤独な少年期」と言う本を読んでいる。
経済的や家族環境や、身体が弱いと言ったその境遇だったから、特別な感性が育まれた、と言う順番ではなく、
人類と言う種の存続のために、その生まれついた資質に気づかせるためにそういう環境に生まれた、もしくは生まれさせられたという順番の方が、納得がいく。

そういう種を持ち尚そこからが、面白い。子供のように好奇心が強く、面白いことには逆境を超えていく心の広がりと言う強さを持っている。目の前のことをやっていても、その先に人間共通の真善美がどこかに入っている。安定した時代は1+1=的な考え方がノーマル。
激動の時代は、それまでの価値観の変動に伴い多くのジャンルを新しく繋げる発想が必要になる。

現実が深く理解されており、そこと繋がろうとしているからこそ、とても健全。
繋がる必要性を感じなければ多分狂気の方向にいくのだろう。
天才はその時代の先進国から生まれやすい、がんばる方向が決まっている時代には、
あまり気づかれないように思う。


浦和は店構えが雰囲気のある所がある。(味は?)
IMG_2017.jpg
IMG_2022.jpg




コメント(0) 

同じ種 [関心]

同じ種で作物を育てると、病気が起きた時、一斉にそうなる。
人もコントロールしやすい価値感の同じような集団だと、
突発的な異変が起きた時に、たおれやすい。

異質だけれど、発想は分かると周囲から認識されている人材が日頃から必要になる。
異質への道が集団内にできていないと、いざという時にみんなついていけない。
同質だけでまとまっていると、不思議にそこから異質な発想の人が現れてくる。
そうでないと、集団は終わってしまう。そうやってきっと人類は生き残ってきたのだろう。
異質な人をあちこちで見かけるようになってきた。きっと出やすい環境が高まったのだろう。

言い換えれば、大げさかも知れないけれど、人類全体の変容が始まっていると思える。
IMG_2032.JPG
コメント(0) 

「仕方が無い」はいい言葉 [関心]

「森林浴」、「仕方が無い」は、そのままでは該当する英語はないそうだ、

森林にbathtubを想像するのだろうか。

「仕方が無い」はいい言葉だと思う。

何か物事への一回目の挑戦は、みんな意気込みがあるけれど、二回目となるとちょっと意気が下がる。そんな時に、誰かが「やめることになっても仕方が無い」と言ったりする。

一見弱音に聞こえるけれど、一回目と同じような単純な意気込みでは、無理なことが分かっているので、冷静になれる人が残ればいいという感じがする。(あくまでも自分の思いですが)IMG_1981.jpg

諦める「仕方が無い」ではなく、グレーゾーンから、あらたな発想が生まれる。

これらの言葉は、とても日本的な心のあり方に感じる。
AI化が進むと、ゼロか1に決めていく感じがあり、これらが、消えていくかも知れない。
毛細血管が消えていくように、日本全体が徐々に弱るかも知れない。
身体も言葉も微細な血流を意識したい。


コメント(0) 

真実の多様性 [関心]

真実って、すごく難しい範疇の概念。

羅生門のように、見えることは、一つでも取り巻く人の立場によって、全く異なる。
いろいろな意見を聞くうちに、見えていることでさえ変化してくる。


何かの映画で、裁判の場面
容疑者が、言った相手の立場は?ましたが、
「お前に真実を扱う資格は無い!」

何となく分かる。だから、自分の心の真実だけは、
自分で知っていきていきたい。


写真 大木とビル、なんか似てる。

IMG_1638.jpg

IMG_1627[1].jpg

コメント(0)