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池の外 [魂と現実]

IMG_0076.jpg近くはない公園に、小さな池のような場所がある。
そこにフナ(多分)が数匹いることに気がついた。次第に周囲から木の葉が沢山落ちて水面が塞がれていたり、水の流れがあるようには思えず、汚れが気になっていた。

ある日、オジサンが、熊手のようなもので木の葉を取っていたので、フナのことを聞くと、「水が汚れ過ぎて多分もうフナは・・・だろう」、と話してくれた。「水がきれいになれば、誰かがフナをまた持って来るかもしれない、もともと誰かが持ってきたフナだから」と言うことだった。

元々いないものを、人が持ってきたその場所は、自然には、水が浄化されないので、生き続けるのは難しいのだろう。
フナが「人」と言う自分たちより力のある「生き物」を知っているのだろうか。
人によって木の葉がいつも掃除され、水が足され酸欠が改善された時、何かの大いなる偶然だと思うのだろうか。「人」を認識できていなければ、多分そう思うのではないだろうか。

自分の幸不幸に、人がどこまで、視野を広げ自浄努力をするのか、と言うことを考えたりする。幸不幸には、関与できず、関与する智慧もなく、大いなる偶然のみでラッキーやアンラッキーと思ったりするのだろうか。

「万物の霊長」と言われている人であれば、例えば自分を覆う落ち葉に気づき、閉塞した人間関係からその理由を探り、少しでも改善することができる存在であり、池を囲む他の世界を想定できる存在だと思いたい。

ポチャポチャと音をたてながら葉を拾い上げているそのオジサンを、フナは「カミ」だと思うかも知れない。

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