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境界線 [関心]

地方をドライブしていると、あるところ、四辻のあたりから、風景が変わることがある。
なんだか、道一つ隔てて空気が違う。高確率で、道祖神やお地蔵さんがいる。

もっと先に行ってお店を選びたいけれど、とても待てず、四辻の角にある蕎麦屋や食堂に入ることがある。
これが、大抵、扉を開けると異次元の雰囲気が漂っている。あ、やっぱり、失敗したかなと思いつつ着席をしてしまう。

骨董品が溢れている。なんとも形容しにくい店主の笑顔が、やたら気になってくる。向こうに座っている常連らしい人が、ふっと話題を止めたりする・
思わず、失礼かと思いつつ、旅人をおそう人・・・的なことを連想してしまう(申し訳ありません!)
落ち着かないまま、食べ終えて外に出るとほっとする。

勝手にホラーストーリが生まれてくる。

その昔、村八分にあった家系かも、もしくは逃げ延びてきた落ち武者を・・・などなど。

あらためて考えるとそれは境界線の怖さだろう。

ちょうどテレビで水木しげるの番組をやっていて、
境界線の周辺には弱者がいると、コメンテーターのお一人が言っていた。
弱者は境界線に繊細。

自分の事を考えると、やっていることが人からあまり理解されないという意味で、
気分はかなり長い間弱者だったと思う。

集団に混ざることが、苦手と言うか、時間の経過と共に、逃げ出さないと、
お互いにしんどくなる。集団の、目先的なことであろうが、なんとも言えない一致団結感がこわい。
(自分が勝手にそう思っているだけだが)
境界を行き来している感覚は、普通の椅子の側に、普通ではない置物がある感じだ。

多様性とは分断でもあって、そういう意味では、多様性がうたわれている今は、
境界線近隣にいた人たちに居場所ができつつあるとも言える。


下は六本木のくろさわ。板前さんが揚げるランチの天ぷら定食が美味しい。
先日家族のお供で増上寺周辺にいった。「天仁〇茶」のタピオカアイスティが美味しかった。
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イメージとしての国の記憶 [魂と現実]

ここ数年、ふっとこんな夏は、もう無いかもしれないって気分になる
いろいろあっても、今はまだ思い出の中の夏と繋がっているけれど

人は個人、家族、仕事、趣味関係と多様に人との関係がある
その先には、普段あまり意識することはないけれど国がある

その国の何かが底値になったとき、外国の人にとっては、とても関心が高くなる

都内の一等地ではなく、地方の観光地、住宅街などの不動産、中小企業の経営者が外国の人になる・・

かなり前になると思うけれど、中小企業があらたに融資を受ける際の条件に
ある国に工場を作ることが条件になったことがある


予測されたことは、そういう企業の優秀な技術力が・・・

このままいけば、健康保険料も上がるかも知れない。

意識が国と繋がっていない個人のあり方の限界が来そうな気がしている
今年もお盆の準備をして迎え火と送り火をした
その「カタチ」を通じて自分と縁のある人のことだけではなく
無形だけれど遠い「なにか」と繋がることで、心になんとも言えない安心感が
広がる。


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