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心の座標は、どこに? [魂と現実]

「新しい言葉の持つ力」って言うのがある。自分にとっての、その一つがスピ系で出てくる「ワンダラー」だ。多分、自分もそうだと、思う人は、結構いると思う。

特別、生活のなかで、これが不満とは言えないのに、心が落ち着かない、何となく居場所が、なく、そこそこ適応する能力はあるのだが。その落ち着かない感じを既存の言葉で説明しても、やはり?な気分になる。日本語はもちろん好きだが、この感じを表す言葉が見当たらない、孤独でもなく、放浪でもなく、それらだとなんだか意味が矮小化され特定されてしまう。

もう多分何十年前になるだろう、この言葉に出会った。この言葉に当てはめると、いろんなことが、気分や感情が無理なく繋がっていった。日本的には、あえて言えば「風が吹けば桶屋がもうかる」的もあるような、いろんなことが、地球の枠を超えて、繋がっている感じがピッタリくる。別に自分が特別と言う意味ではなく、現実の価値観に違和感があり、そして、尚その違和感を無視や否定するのではなく、そこからさらに自分に気づいていくきっかけになる。ただの石が、磨けばダイヤモンド的な、枠を広げる言葉との出会いによって、困難が、進化の元に思えてくる。

ただ、良くも悪くも、その感覚が全くない人との会話が、・・う、になってくる"(-""-)"
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快感の種類 [魂と現実]

快感、快適というのは、やはり生活のなかで、一番エライポジションにある気がする、
美味しいものを食べたとき、温泉に入ったとき、買い物をしたとき、などなど、
どっとそれに依存と言うわけではないけれど、どれもささやかでも少しづつ日常化している。

それと、会社員だと上司に褒められた時などなど。

前半は、結局お金がかかるし、上司からのそれは、それで大変である。
自分の快感にお金がやたらかかることが、今の時代の「癖」な感じ。だからお金に人が使われていく感も出てくる。

自分で言えば、安上がりと言うかちょっとした山里の風景や本を読んで、かなりハイテンションになれる。その後でのコーヒーもすごく美味しく感じる。目の上の夕焼けを見ず、スマホで他地域のそれを見ている人もいるだろう、もっと身近な日常に深く関わることが、今はとても快感。貯金が快感と言う人もいる。
各自の快感追及の結果、環境破壊、等々、世界がバランスを失っている感じ・・・。
人の精神的進化の研究と自分の現実の一体化の作業が最高に楽しい。

先日上野駅で見たポスター。普通の生活に当たり前として、特別気づくこともない様々な美意識があるかどうかって言うことだと思う。
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 [魂と現実]

弥勒菩薩像や遺跡にある女神像など、当たり前だけれど、石でできている。
見る方は、だから安心してじっと眺めることができる。

安心するものは、あまり動かないものだとも言える。言い換えれば、始終動いているものは、心が休まらない、動物でも、神秘的なテーマになる蛇は、見るからにはあまり動かない。

身体はあまり動かない分、内面はとても飛翔しているかもしれない。かすかな風や何かに、大地の動きを察知しているかもと思ったりする。

ノンフィクションのナレーションで、「「遺跡」は、長い長い歴史を知っている証人」とかいうのがあるけれど、例えではなく、本当に「知って」いる・・・。

遺跡は戦○で、壊す対象になりがちなのも、その歴史からはずされたと思う人にとっては、壊したくなるのかもしれない。

いつも、いくつになっても感情が激しくアップダウンする人は、他人が安心できない人、ということになるのだろう。
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ちょっといけばある風景

悪口は古い習慣 [魂と現実]

いろんなことが、ますます形がはっきりしてくる時代になった。

一番、大事なことは、自分自身の内面のことだと思う。

分かりやすいことでは、人の悪口は言って得しない。
本人に直接言うのは、言い方や時と場所を慎重にすれば必要なことが多い。
(職場はやはりかなり言わない方がいいですが)

陰での悪口は、それまでの相手の努力を全否定する事につながってしまう。
特に、その場では、にこにことして、離れたら悪口を言うのは、一番自身の心を暗くしていく。
相手が自分の思うように動くべきと思っていること自体が、大きくずれている。
かといって、出まかせのおべんちゃらも、自分に返ってくる。それまでの生き方から得た本人ならではの、バランス感覚が必要だと思う。

悪口を言っている人から人が離れていくのは、そのパワーの使い道が間違っていることを、
本能的に感じるからだと思う。悪口が多い人は、友達が多くても内心受け身的で寂しい人が多い。ただ、悪口を言うことで、自分に気づき成長していくこともあるけれど、妙に時間の流れが速くなり、成長の前に、人が離れていく。


*写真 「大宮市場」に置いてある赤タイのオブジェ、とても好きで、「友達」だと思っています。できればあと小さめのが二つあれば、場が落ち着くんだけれど。
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池の外 [魂と現実]

IMG_0076.jpg近くはない公園に、小さな池のような場所がある。
そこにフナ(多分)が数匹いることに気がついた。次第に周囲から木の葉が沢山落ちて水面が塞がれていたり、水の流れがあるようには思えず、汚れが気になっていた。

ある日、オジサンが、熊手のようなもので木の葉を取っていたので、フナのことを聞くと、「水が汚れ過ぎて多分もうフナは・・・だろう」、と話してくれた。「水がきれいになれば、誰かがフナをまた持って来るかもしれない、もともと誰かが持ってきたフナだから」と言うことだった。

元々いないものを、人が持ってきたその場所は、自然には、水が浄化されないので、生き続けるのは難しいのだろう。
フナが「人」と言う自分たちより力のある「生き物」を知っているのだろうか。
人によって木の葉がいつも掃除され、水が足され酸欠が改善された時、何かの大いなる偶然だと思うのだろうか。「人」を認識できていなければ、多分そう思うのではないだろうか。

自分の幸不幸に、人がどこまで、視野を広げ自浄努力をするのか、と言うことを考えたりする。幸不幸には、関与できず、関与する智慧もなく、大いなる偶然のみでラッキーやアンラッキーと思ったりするのだろうか。

「万物の霊長」と言われている人であれば、例えば自分を覆う落ち葉に気づき、閉塞した人間関係からその理由を探り、少しでも改善することができる存在であり、池を囲む他の世界を想定できる存在だと思いたい。

ポチャポチャと音をたてながら葉を拾い上げているそのオジサンを、フナは「カミ」だと思うかも知れない。

ひらめく [魂と現実]

冬の花.JPG健康の秘訣っていろんな条件があるけれど、やっぱり「これだ!」と思うことがある、
今持っている現実的な条件や環境ももちろん重要だけれど、それより、説明しにくいけれど、「漠然と空とか庭から木を眺めていたり、電車から流れる風景を見ているときに、突然ふっと、[未知に行く可能性]みたいな」、なんとも言えない解放感と言うか、そんな気分になることがある。
とても穏やかで、感謝の気分で満たされる。

具体的に特別いいことがあるわけではないけれど、日常がそれまでとは、違ってとても新たな変化の可能性に満ちたものに思えてくる。そんな時音楽まで聞こえてくる気がする。

ただ、昔と違うのは、昔はそんな気分の時、今いるところから、一人で出ていくことのイメージがあったが、今は、自分のいる「現実」に用意されている様々な扉と人との共生感を感じる。

余談だが以前、大戦により裁判でしょ○いされる元日本軍人が、その日窓から小さな野草を見て、その美しさに涙を流し続けたと言う実話を読んだことがある。それまでの人生では、そんな野草に気がつきもしなかった。

健康は、そんなどこからかやってくる自分へのまなざしみたいな感覚が、新しいそれまでとはステージの違う元気をもたらしてくれると思えて仕方がない。

荒魂の時 [魂と現実]

hana.JPG人の面白さって、生まれつき、そして培われたもの含めて「個性」にあると思う。その個性が集まったのが社会。それぞれが個性のままだと、物事が進みにくく、危ないので、各自、共生のための心の在り方のルールを創っている。でも、あくまでも、自分の中にある自由な心、あちこち飛び交う心が中心であって、ルールが主役ではない・・。

ルールを維持するには、それを守ることでのメリット(幸せ感)が必要になる。人ってそういう存在だと思う。そのメリットを感じなくなると、ルールを維持するのが難しくなる。
今の時代は、そういう意味で、天才と狂気の人が出やすくなる。
新しいメリットの提案が必要・・・。


加えることで再発見 [魂と現実]

1月ももう下旬に入りました、いろいろなことがどんどん起きている感じです。
今年は、人に言ってもいいこと、言った方がいいことを黙っていることが、あまり良くない気がします。生活に少しでも手を加えて、華やぎを創ることもいいように思います。
すでに持っているもの、ことへの再発見ができ,それは自分再発見になります。
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人は時代を変えれる?変えれない? [魂と現実]

長年心に隠されたしこりは、年齢と共にバランスを崩す原因になります。それは個人の、体験からだけではなく、育った家庭や時代の影響が大きい。人は自分の育った時代感覚で、前後の世代の想いも推し量りがちですが、時代が違えば心の運用は全く違う。

御高齢で認知症になった女性の場合、夫にだけ激しく反発する場合があります、これは戦●を体験し、男尊女卑、夫や舅、姑には絶対に逆らえなかった環境が大きい。そんな時代でも優しい夫に巡り合えた方はいいですが。下の世代の女性がラフに男性に話している光景は、人によってはとても苦しいそれになる。


介護ホーム等で優しい男性介護士との出会いは、そんなことの改善になることも考えられるのでは。
高齢と言うことは、そのしこりに気づいた時に、改善する機会や相手がいない場合が多く、その分、内面での危険性も高くなります。

下世代は就職氷河期やグローバル化と言う、世代が違うと背負った苦しみも違う。

写真はレストランのインテリアです、もう少しかわいくすれば入りやすいのにと思う店は結構ありますが、これは投資金額はさほどではないと思いますが、店の入り口がとても明るい雰囲気になっています。
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時間を味方にする [魂と現実]

大きな意味での時間の過渡期には、いろんなこと、自分の中で忘れていたことなどが蘇る、特に、変えた方がいい心の習慣をやっと長い時間かかって変えられた、それなのに、前の習慣が蘇ったりする。
 過渡期には、無意識に不安になり、意識も退行する。そして変えたはずの良くない習慣を懐かしがったり、それこそ本来の自分なのではと肯定的になることもある。

 何故、その習慣を変えた方が良かったのか、自分では納得をしていなくても、変えた方が人間関係がうまくいったはずだ。理由は分からないけれど、周囲の対応が自分が変わる前より、ソフトになったはず。そんな「得」感がなければ、人はなかなか変えれない。しかし、時間がたつと、その「得」を忘れがちにもなる。

 自分が納得していなくても、不承不承でも変わった方が家族が明るくなったことがあれば、よりそちらの習慣に行くべき時である。自分の周囲や国や世界が大きく変わろうとしている今、自身の歴史、家族との歴史などがとても重要な支えになる。
 
11月13日、午前5時30分頃の風景、こんな霧は初めて。もう街全体が見えないほどの濃霧。
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